エッセイストとして長年活躍している酒井順子さんの「消費される階級」を読みました。
過去の作品は、「負け犬の遠吠え」「ガラスの50代」「男尊女卑」など。
タイトルを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
何気ない言葉使いで世相を切る文章が好きで、昔から読み続けているエッセイストの1人です。
いつも文庫本を読んでいましたが、今回は初めて単行本を読みました。
階級と言っても、決してつらい内容ではありません。
「消費される階級」感想・レビュー
「消費される階級」の感想・レビューは、
- つらい格差問題の話ではない
- 昔から日本は、たくさんの階級が存在する
- 人間である以上、階級はなくならない?
では、1つずつ説明していきますね。
つらい格差問題の話ではない
「消費される階級」に書かれている話は、日本で大きな社会問題となっている階級格差のような重たい話ではありません。
まぶた問題と日韓問題
おたくが先達、”好く力“格差
ミヤコとアズマ、永遠のすれ違い「消費される階級」目次より一部抜粋
など、身近にひそんでいる階級について描かれています。
中には、
“親ガチャ”と“子ガチャ”
東大礼賛と低学歴信仰「消費される階級」目次より一部抜粋
などと重たいタイトルもありますが、つらい気分になるような内容ではありません。
どれも気持ちを楽にして読めます。
むしろ、普段はビジネス書などを読む方の息抜きになる本だと感じました。
リラックスしながら読める1冊です。気持ちを楽にして読めます。
気負う必要はありませんので、リラックスして読んでください。
昔から日本は、たくさんの階級が存在する
「消費される階級」は、日本にある様々な階級(格差)について描かれた本ですが、昔から存在しているものばかりです。
「ああ、わかるわかる」と共感できます。
例えば、野球やサッカーをすることが趣味の人は、
- 社交性が高く、誰からも好かれる明るい人
- チームメイトの状況を考えられる人
- 自分はチームのために、何をするべきか判断ができる人
などと評価されることが多いです。
一言で言えば「陽キャ」な人でしょうか。
一方、読書が趣味の人は、
- じっくり本を読む集中力がある人
- ひとりで本の世界に没頭できる人
などと、おとなしい人として評価されることが多いでしょう。
一言で言えば「陰キャ」な人です。
現在の日本では、「社交性が高くて明るい人」の評価が高い傾向にあります。
つまり、「陽キャの階級が高くて、陰キャの階級が低い」という結果になってしまうのです。
このような評価の違いは、昔からあることです。
このように、昔から日本では様々なタイプの階級が存在しているのではないかと感じました。
サッカーをするのは趣味の人は「陽キャ」で、読書が趣味の人は「陰キャ」と思われがち
ここからは、「消費される階級」を読んで、いちばん強く感じたことを説明していきますね。
人間である以上、格差はなくならない?
人が人として生きていく以上は、階級は決してなくならないのではないでしょうか。
会社で話せないことは、飲み会の席で。皆がいる場で話せないことは、男だけ/女だけの場で。口に出せないことはネットで。
「消費される階級」より
このようなことも、昔から日常的に行われています。
インターネットは、ここ数十年で普及したものですが、会社で話せない内容を、男だけの飲み会で話す、または昼休みの女子トークで話すことは昔からあったでしょう。
みんなの前で話せないこととは、同じランクにいる人たちで、特定の人が下であるとみなして話すのではないでしょうか。
同じランクにいる人どうしで、特定の人を下とみなして話すことは、昔からありますね。
うわさ話などは、しない方がよいのかもしれませんが、たくさんの人が生きていく以上、階級はどうしてもつけざるを得ないものです。
階級をつける場面とは、
- 中間テスト・期末テストなどの学力試験
- 入学試験
- 就職試験
など。
全員がんばっているからという理由で、学力試験で全ての人を100点にする試験はありません。
学校では、全員が同じ試験を行い、○と☓の数で点数をつけて評価をします。
そうしなければ、階級(成績)をつけられません。
つけられた階級で、卒業後の進路を決める人が大半です。
また高校や大学に入学する前に、入学試験が行われます。
入学試験をせずに、希望する人が全員入学できるのはよいことですが、成績がよくない人が入学すれば、学校の社会的評価は下がるでしょう。
試験を行い、階級をつけて入学できる人を選びます。
就職試験も同じです。
入りたいと希望する会社に応募をして、面接や一般常識の試験を行います。
希望する人が誰でも入社できれば、会社の社会的評価が下がってしまうかもしれません。
試験を行い、階級をつけて入社できる人を選びます。
「やりたい、入りたい」という気持ちを尊重するのは大切ですが、全員が希望する場所に入ることは無理があるでしょう。
階級をつけて、希望が叶えられる人と叶えられない人を選択せざるを得ないのです。
入学したい人が全員入れる学校は理想ですが、試験で入学できる人を選ばざるを得ないのが現実・・・。
たくさんの人が生きていく以上、階級は設けざるを得ないのではないかと感じました。
しかし、昨今は「差別をしてはいけない」という風潮がとても強いです。
性別・環境など、本人の気持ちとは関係ないのに、将来の選択肢が狭まる人が増えたことが影響していそうです。
「違いを認め合い、すべての人が横並びで生きる」という難題に挑もうとしています。
「消費される階級」より
人が生きていく上で階級をつける必要があるのに、全ての人を認め合い、横並びで生きていかなければならない・・・ものすごく矛盾しているような気がします。
「消費される階級」を読んで、いちばん強く感じたことは「階級をつけずに、人を比べなければならない」という大変な時代に生きているのだなあ、ということです。
全く人を比べないって、無理があるのかもしれません。
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